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7・前に進む勇気 Page4

last update Last Updated: 2025-03-21 09:12:12

   * * * *

 ――それから数日後。

「ふわぁ~~あ……」

 バイト中、売り場での作業をしながら大欠伸をした私に、由佳ちゃんが心配そうに声をかけてきた。

「奈美ちゃん、眠そうだね? どしたの?」

「あー……うん。今新作の原稿書いててね。昨夜も遅くまでやってたもんだから」

 元来、書き始めたら筆が止まらなくなる私は、今回の仕事でもそういう状態になっているのだ。いわゆる〝ライターズ・ハイ〟というべきか(……あれ? こんな言葉あったっけ?)。

 今回は特別な仕事だから、なおのことそうだった。

「遅くまでって何時ごろまで? 睡眠時間足りてないんじゃない?」

「うーん……、十二時半ごろまでかな。でも睡眠は足りてるし、もう慣れてるから大丈夫だよ。由佳ちゃん、心配ありがとね」

 手書き原稿派の私は、ただでさえ遅筆だ。そのうえ、言葉の一つ一つを吟味(ぎんみ)して書いているので、遅い時には深夜の二時ごろまでかかることもあるのだ。

「大丈夫ならいいんだけどさ。っていうか新作って? こないだ出て、重版かかったばっかじゃなかったっけ?」

 由佳ちゃんは一度首を傾げてから、「あ」と声を上げた。

「もしかしてアレ? こないだ取材受けたエッセイだっけ?」

「そうそう。それ」

「ああ~、そういうことね。あたしも絶対予約するよ!」

 由佳ちゃんって私の根っからのファンなんだな。私の新刊が出るたびに、毎回こうして売り上げに貢献(こうけん)してくれているから。もちろんそれだけじゃなく、素直な感想もくれて、それが作家としてすごく励みにもなっている。

 私はいつも、こんなファンの人達に支えられて作家活動を続けられているんだなあと、感謝してもしきれない。

「――すいませーん。本の予約したいんですけど」

 若い女性のお客様に声をかけられ、私は補充作業を中断した。

「はい、少々お待ちくださいませ。――由佳ちゃん、ここお願い」

「うん、オッケー!」

 彼女に売り場を任せ、パソコンのあるレジ横カウンターへ。

「お客様、こちらの予約注文票にご記入をお願いします」

 私はカウンターの下の引き出しから伝票を取り出して開き、ボールペンをお客様に差し出した。こうして記入された書籍のタイトルやお客様のお名前・連絡先などを、後でパソコンに入力していくのだ。
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    Last Updated : 2025-03-28

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       * * * * ――翌朝、原口さんはバイトに出勤する私に合わせてわざわざ早く起きてくれたので、一緒に朝ゴハンを食べた。今日のメニューは白いゴハンに焼き鮭(ざけ)、キュウリとナスの浅漬け、そしてきのことカボチャのお味噌汁。秋が旬の食材をふんだんに使ったメニューだ。 たまには洋食の朝ゴハンにしようかとも思うのだけれど、原口さんは和の朝食がお好みらしい。「――そういえば、ナミ先生って和食以外もよく作るんですか?」 ゴハンをお代わりしながら、彼が訊いた。……あ。そういえば彼がウチで食べる料理ってほとんど和食だ。洋食系のメニューって食べてもらったことあったっけ?「うん、作りますよ。中華とかカレーとかも。でも、さすがにハヤシライスは作ったことないなあ」 昨日のデートで、彼と一緒にカフェで食べたハヤシライスはおいしかった。……でも、自分で「作ってみたい」とまでは思わない。私は創作の面では結構攻めるタイプだと思うけれど、どうも他の面では守りに徹(てっ)するタイプみたいだ。 そういえば恋愛でもそうだった。原口さんのことが好きだと気づいた時だって、自分からはグイグイ行かなかった……と思うし。「――僕、ナミ先生が作ってくれる和食大好きなんですけど。たまには洋食系のメニューも食べてみたいなあ……なんて。……すみませ

  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page10

       * * * * ――結局、彼はやっぱり泊っていくことになった。 洗い物を済ませてから二人で交代に入浴し、寝室で甘~~い時間を過ごしたら、私は無性に書きたい衝動(しょうどう)にかきたてられた。「――ゴメンなさい、原口さん。私、これからちょっと仕事したいんですけど。机の灯りつけてても寝られますか?」 私が起き上がると、彼は「仕事って、執筆ですか?」と訊き返してくる。「そうです。眩しいようだったら、ダイニングで書きますけど」「いえ、僕のことはお気になさらず。……ただ、明日出勤でしょ? あんまり遅くまでやらないようにして下さいね」「うん、ありがとうございます。キリのいいところまでやったら、適当に寝ます。だから気にせず、先に寝てて下さい」 私はベッドから抜け出して、部屋着の長袖Tシャツの上からパーカーを羽織り、机に向かった。書きかけの原稿用紙を机の上に広げ、シャープペンシルを握る。 ノートパソコンは、相変わらずネットでしか稼働(かどう)していない。タイピングの練習は、時間が空いた時だけやっている。でも、パソコンで執筆する気にはやっぱりなれない。 原稿を書きながら、数時間前に観た映画のラブシーンとついさっきまでの彼との濃密(のうみつ)な時間を思い出しては、一人で赤面していた。私が書いている恋愛小説は濃厚(のうこう)なラブシーンが登場するようなものじゃなく、主にピュアな恋愛を描いているものがほとんどなのだけれど。 私の恋は、小説やTVドラマや歌の世界を地(じ)でいっている気がする。 潤のことも、もちろん本気で好きだった。だから、「小説家なんかやめろ」って言われてすごく傷付いたんだと思う。「どうして好きな人に応援してもらえないの?」って。 でも、原口さん相手ほどは燃えなかったなあ。こんなにどっぷり好きになった相手は、多分彼が初めてだ。そして、ここまで愛されているのも。 だって彼は、私のことを丸ごと愛してくれているから。私のダメなところも全部認めてくれて、決して貶さないし。……こんなに出来た彼氏は他にいないと思う。 ――集中してシャーペンを走らせ、原稿用紙十五枚を一気に書き上げると、時刻は夜中の十二時過ぎ。いつの間にか日付が変わっていた。「ん~~っ、疲れたあ! そろそろ寝よ……」 私はシャーペンを置き、思いっきり伸びをした。ふと、後ろのベッド

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